電気磁気学

鷹林です。

 毎度Eコースと関係ない話ばかりを上げていますが、今回は(まじめに)コースで行っている授業を紹介します。

 私、電気磁気学(電磁気学)の授業を担当しています。電気磁気学は、コース配属直後の2年生後期から4年生前期までの計2年間あります。現在、2年生後期分(基礎電気磁気学)は南部先生のご担当で、私は3年生通年(電気磁気学I)と最後の4年生前期(電気磁気学II)を担当しています。泉先生を引き継いだ形となっています。

 電気磁気学の最終目標は、Maxwell(マクスウェル)方程式を使えるようになることです。

 さてただいま、大雨があるとはいえ夏盛りですが、年末になるとノーベル賞で世間は盛り上がります。毎年、「今年は日本人受賞なるか!?」・・・なんて、マスコミ大騒ぎ。

 でもね、これまでのノーベル物理学賞をぜ~~んぶ足しても、Maxwell方程式を見出したMaxwellさんには勝てないでしょう。それだけ、Maxwell方程式は凄いものです。(※Maxwellさん(1831-1879)はノーベル(Nobel)さん(1833-1896)よりも早くに亡くなられたので、ノーベル賞の対象とはなっていません。)

 人類が、古代ギリシャの昔から、いやもっと何千年も前の文字のない時代の昔から追い求めてきた、電気、磁気(磁石)、光それぞれの不思議を、Maxwellさんは、現在その名前を取ってMaxwell方程式と呼ばれているたった4つの方程式でまとめ上げました。1864年の話です。たった150年と少し前です。Maxwell方程式曰く、電気と磁気と光の根っこは同じだと。Eコースで学ぶすべての電気電子工学、いやもっと、世の中の電気と磁気と光は「すべて例外なく」、Maxwell方程式で説明することができます。

 また、世の中でよく知られているアインシュタインさん(1879-1955)の相対性理論の母体も、実はMaxwell方程式です。もしMaxwell方程式がなかったら、アインシュタインさんはどうなっていたのでしょうか。

 Maxwell方程式、凄くありません?

 Maxwell方程式のおかげで私たちは、夜中でも明るい部屋でクーラーを効かせてYouTubeを楽しむことができるのです。

 有明高専において、ガチでMaxwell方程式@電気磁気学をマスターできるのは、ここEコースだけです。

 しかしながらこの電気磁気学、数学の努力がちょっとばかり要るため、評判は芳しくないです。う~~ん。

 というわけで私、学生の皆さんを如何にして楽しくMaxwell方程式まで導くかを考える日々を過ごしております。

 

論文出しました

鷹林です。 

 この度、炭素材料学会の「炭素」という学術雑誌に日本語論文を出しました(炭素 2020年 第293号 80-91頁)。有明高専に来ての第一号です。東北大学 多元物質科学研究所 高桑 雄二教授との共著です。内容は、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)という炭素材料のプラズマ成膜と、その反応解析や化学構造解析です。それまでに出してきたいくつかの英語論文のまとめ論文です(※中身に興味のある方は、ご連絡下さい。)。

https://www.jstage.jst.go.jp/browse/tanso/-char/ja/

 DLCとの出会いは、2005年に大学院を出て広島大学に博士研究員として採用されたときに遡ります。行先の高萩 隆行教授から、ある企業との共同研究でDLCの化学構造解析を立ち上げるというミッションを与えられました。もう15年も昔になりますが、つい昨日のことのように思い出すこと、度々です。学生の皆さんはまだ赤ちゃんだったのですね・・・。

 「DLC、なにそれ、おいしいの?」というレベル、つまり全くのゼロからのスタートでした。最初の3ヶ月は図書館に籠もりきり、研究計画を練りました。それからは実験&解析をしては学会発表し、新参研究者としてアピールを繰り返しました。「こいつ誰や? 何をわけのわからんことを言ってるんや!?」と、さぞ思われたことでしょう。でも、それを気にしていたら人生終わります。

 そんなこんなで1年半が過ぎ、何とか一つ目の論文を出すことができました。とにもかくにも、「これでなんとか首が繋がった・・・」と安堵したものです。一度論文が出せると、後はどんどん続きます。慣性の法則です。そして4年後には、冒頭の炭素誌で論文賞をもらうことができました。

http://www.tanso.org/contents/award/award2009syo.html

ゼロからスタートしたので、受賞は格別でした。人生でいくつか賞状というものをもらってはきましたが、これに勝るものはありません。

 しかし、賞をもらうと不思議ですね。一つの山を登って「やったーヽ(^o^)丿」と思って前方を見たら、さらに高い山がそびえていました (´・д・`)。勉強って、すればするほど、自分がなーんにも分かっていないことに気づかされます。今でも、「本当にこの解析で良かったんかな・・・」と思うこと日常です。

 受賞を花道に、高萩先生から「見聞を広めるようにと」広島大を卒業し、東北大(尾辻 泰一教授)に移りました。東北大では別の仕事(グラフェン)をすることになったので、DLCは店じまいのつもりでした。しかし色々調べていくうちにグラフェンとDLCのコンボを思いつき、共同研究先として冒頭の高桑先生との出会いが、結果的にDLC研究をさらに加速させることになりました。

 次第に学会でも認められるようになり、執筆や講演の仕事も入るようになりました。東北大の後、有明高専に来るまでの5年間は会社生活でした。会社員中は学会活動から離れていたものの、多くの先生方から引き続き仕事をいただくことができました。

 そして今日に至ります。人生というものは人それぞれ色々ですが、よくまぁ、生き残れてきたな・・・とほっとしてはお茶をすする次第です。お茶は濃いいものが好きです。

水は怖いです。

 鷹林です。

 昨日は、豪雨で午後から休校になりました。E棟は1階に水が入ってきて、教職員総出で水を出したり、土嚢を積んだりしました。本日も休校です。

 皆さまはご無事でしょうか。

 作業が一段落して、いつもの寮を通り過ぎた荒尾側の道で帰ろうとしたら、深瀬が浸水して不通になっていました。反対に平井経由で遠回りに帰ろうとしたら、関川が氾濫していました。「これはやばい」と胸が締め付けられて、急いでUターンしました。

 結局大牟田側から2時間半かけて、自宅に辿り着けました。あちこち冠水通行止めや渋滞で。普段はFMたんと聞きながら15分なんですけど。

 自宅は問題なしでしたが、愛車さん、無理させてごめんなさい。災害に遭うのは、仙台で経験した東日本大震災で最後だろうと思っていたのですが。

 そこで記憶が思い出されます。小学3 or 4年の夏休み(どちらだったかな)、あるイベント企画で川を泳ぐ機会がありました。山口県岩国市を流れる錦川という清流です。

 小さい頃から水泳をやっていて泳ぐのはそれなりにできましたが、いざ流れのある川の中ではプールのようには行かず、難儀しました。「川の流れってこんなに強いんだ・・・」と自覚しました。

 高校では、水球というものをやりました。まあ、全然上達はしませんでしたが。立ち泳ぎしながらハンドボールするといえば、わかりやすいでしょうか。練習の一つに、重りを抱えて立ち泳ぎを鍛えるのですが、2 kgで1分も保ちませんでした。

 大学になり、ボートをしました。ひっくり返ったときのために、定期的に着衣水泳訓練をしていました。着衣では立ち泳ぎで浮かんでいることはできましたが、服が水を吸ってそれ以上自由にはなりませんでした。ちなみにひっくり返る経験は誰でもすることです。ボートは浮き輪代わりになるので、落ち着いて対処すれば大丈夫です。

 というわけで、なぜか水に縁のある人生を送ってきました。そこで得た教訓として、川の流れは傍目のようにゆ~る~や~かに~ではなく、実際はとても自由を奪われます。流されている人を身体一つで飛び込んで助けに行く、などということはマンガの世界です。自然の前では人間は無力です。立ち向かうのではなく、どう受け流してうまく付き合っていくかです。

 徒然草にも書いてありますね。馬乗りの名人曰く・・・。

世の中に、似たところは・・・。

鷹林です。

 先日の週末、靴の修理のため、熊本に車で出かけました。メーカー対応してくれるお店が熊本にしかないようだったので、高速に乗って早速。

 修理が無事終わり、帰りは一般道経由でのんびりと、熊本の街を見物しながら運転していました。水前寺から九品寺交差点を過ぎて白川が見えてくると、あれれ?? どこかで見たことがあるような・・・。

 そうです。広島の街で、稲荷町から京橋川を渡って銀山町に至るロケーションにそっくりなのです。どちらも路面電車路です。まるで広島にいるかのような錯覚を覚えました。その道に交差して京橋川土手を下る道は高校時代の自転車通学路で、周囲一帯は記憶によく残っている風景なので、眼前のそっくり風景にただ驚くばかり。

 そして白川を渡り、水道町交差点から鶴屋百貨店を臨む展望は、広島の銀山町から福屋百貨店を臨む姿にそっくりでした。水道町交差点は八丁堀交差点かと。

 ただはっきり違ったのは、八丁堀交差点はT字型に路面電車が分岐(本線と白島線)しているのに対して、水道町交差点の路面電車は一方向のみ。何とかこれで錯覚から目を覚ませました。

 諸国を巡る人生を送っていると、驚くこと多々ありです。